伊達判決を生かす会


砂川の基地反対闘争からはや半世紀。
その事件判決には裏があった。
そこに生きた証人の戦いが半世紀を過ぎてた今も繰り広げられる。


1.砂川事件刑事訴訟(裁判)記録の公開にあたって −はじめに−
2.砂川事件刑事訴訟(裁判)記録<第1冊―第22冊>のあらまし
3.年 表 砂川基地拡張反対闘争・伊達判決・米国公文書発見
4.砂川事件「伊達判決」に関する米国政府解禁文書要旨
(各項目は当ホームページ用に編纂してあります)



1.砂川事件刑事訴訟(裁判)記録の公開にあたって −はじめに−

 私たち伊達判決を生かす会は、伊達判決が出されてから52 年経つ今日2011年3月30日に、砂川事件刑事訴訟(裁判)記録−第一審・東京地裁、跳躍上告審・最高裁−をこのCD-ROMに収録して公開できる運びになりました。

 会では、昨年4月に刑事事件の裁判記録は検察庁が保管するものであることから、昨年4月に外務省が会の開示請求に応じて一部の砂川事件関係の一部記録を公開したことを契機にして、東京地検に対してこの刑事訴訟記録を公開させる取組みに着手しました。会の共同代表である砂川事件の元被告の坂田茂、土屋源太郎両者が砂川事件の刑事訴訟記録の閲覧、コピーを、昨2010年4月と7月に東京地検に対し文書と口頭で求めた結果、東京地検は、その許可・不許可の回答を延期する通知をしてきた後、8月に入って「関係者(当事件の元被告か学術研究者)の閲覧を許可する」と回答してきましたこれを受けて8月14日に坂田・土屋が東京地検内で当該記録をはじめて閲覧しました。この砂川事件刑事訴訟記録が、東京地裁での第1審(1958年1月18 日〜1959 年3 月30 日)の訴訟記録(13 冊2934 ページ)と跳躍上告審(1959年9月7日〜1959年12月16日)による最高裁の訴訟記録(9冊2314ページ)のコピーが、第1冊から第22冊までの綴じ込みに分けられ、それぞれの裁判に関る記録や書類資料などの各頁に通し番号が捺された5000ページを超す膨大なものであることが分りました。この砂川事件は、差戻し裁判の結果、1963年12月24日に最終的に被告に対する罰金刑が確定しました。
1987年に制定された刑事確定訴訟記録法では罰金刑の訴訟記録の保存期間は3年となっています。この規定制定前とはいえ、50数年を経ている罰金刑確定で終わった砂川事件の第一審と跳躍上告審の刑事訴訟記録のすべてが「刑事参考記録」(同法附則5条)として東京地検の地下倉庫にひっそりと保管されていたのは、検察庁に当時からこの裁判が司法上も歴史的に重要であるとの判断があったからでしょう。その後、坂田、土屋からの「関係者以外にも閲覧を」という強い要求の結果、9月30日に元被告以外の会員を含む8人で地検に赴き、記録全22冊の綴じ込みに目を通し各冊の大よその目次的なメモを作成することができました。

 会では、「日米安保条約の基づきわが国に駐留する米軍の存在はわが国の戦力にあたり、戦力保持を禁止する憲法9条に違反する」という「伊達判決」が出された東京地裁・一審(裁判長が伊達秋雄判事)記録と、「高度に政治的な外交条約は司法判断の範囲を超える」として、最高裁自身が憲法審査権と司法の政治への従属を宣言したとも言える判決が出された最高裁・跳躍上告審の最高裁審議記録(裁判長が田中耕太郎最高裁長官)が、東京地検の地下倉庫にひっそりと保管され公にされないままたままであってはならない、と考えました。現在自由人権基金の代表理事の一人で会の活動にはじめから大きなご協力・ご支援をいただいている三宅弘弁護士からも「この歴史的にも貴重な刑事訴訟記録を地検に公開させたことは司法史上画期的なことであり、この記録を誰でも見られるようにすることの意義が大きい」という助言もいただきました。そこで、当初は「関係者のみ閲覧を許可する」としていた地検に対してあらためて、記録の閲覧に加えその記録すべてのコピー版の取得を要求し承認させ、コピー費用を含む全記録のコピー版作成費用を会員の拠出金や寄付金(当該裁判の弁護団長・海野晋吉弁護士が初代理事長を務められた自由人権協会からを始め多くの個人からの)で負担して、12月3日に地検指定の業者が作製した全22冊・計5248枚の膨大な量のコピー版を取得しました。

 「この膨大な記録全部をデータ化すれば出版しよう」という出版社もありましたが、データ化の膨大な作業を行うのに必要な一定の法律的知識を持った人材を確保することは人数的にも金銭的にも会の能力をはるかに超えるため、出版は断念せざるを得ませんでした。その後、会が情報開示請求をして外務省が開示をした1959年当時の極秘記録が外交文書館でそのコピーをCDROMで公開している事実に着目して、この裁判記録をCD-ROMに収録する方法を思いつき、会員の中でパソコンの技術にも詳しい前沢和彦が中心となり多くの会員の作業協力により、裁判記録の「もくじ」をつくり、CD-ROM版の作成となった次第です。

 このCD-ROMを通して、多くの人が東京地裁第一審と最高裁跳躍上告審の判決を含めた記録に目を通していただき、この裁判がどのように進められたか、憲法第9条と日米安保条約をどのように考えるべきか、在日米軍基地反対闘争の一つである砂川基地反対闘争がどのように行われたか、について今日的に考えていただく資料にしていただければ幸いです。

2011年5月25日
伊達判決を生かす会



2.砂川事件刑事訴訟(裁判)記録<第1冊―第22冊>のあらまし

 「もくじ」に記されているように、<第1冊>から<第13冊>までが東京地裁における第一審の28回に及ぶ公判と、その準備や付随する事務的書類の記録で、第一審については<第13冊>の最後にある東京地検の上告趣意書で終わっています。ただし、第28回公判で出された伊達秋雄裁判長による第一審の判決(伊達判決)文は、最高裁第7回公判で出された田中耕太郎裁判長による判決とともに、最終の<第22冊>に収録されています。<第14冊>から<第21冊>は跳躍上告となった最高裁公判の準備や必要な事務的書類、公判前に提出された弁護人からの答弁書などとなっていますが、この最高裁審理の性格を反映して、弁護側が提出した「答弁書」が<第16冊>から<第19冊>まであり、7回にわたる最高裁の公判自体の記録は<第20冊>と<第21冊>に限られています。

 記録とは別に、最高裁判決に対して出された弁護団声明と伊達秋雄裁判長、海野晋吉弁護団長、田中耕太郎最高裁長官の3氏のプロフィルをこの文の最後に掲載しておきました。

東京地裁第一審 <第1冊>から<第13冊>
 <第1冊>では、最初は他の6人の被告人とは出身の国鉄労組弁護団が担当することでスタートして別に公判に臨んだ椎野被告人の第1回公判記録から始まりますが、坂田被告人他5人の第1回公判から両者の弁護団が一緒になることになり、法廷審理も併合することになりましたので、はじめの部分に椎名被告人のみの起訴状などが入っています。このことに続いて、椎野被告人と坂田他6人の被告人に対する起訴状と第1回公判における弁護人側から出された起訴状に対する求釈明書、弁護人と被告人の冒頭陳述の記録が収められています。この中には、海野晋吉主任弁護人をはじめ28人の弁護団が第1回公判に出頭した弁護人として記録されています。<第2冊>には、第2回公判における多数の弁護人の冒頭陳述があります。

その後、被疑事実に関する審理となり、まず、第3回で行われた検察側証人の証言が収められています。<第3冊>の第4回公判から<第7冊>の第11回公判までは、第3回から続く調達局・警察官・外務省の検察側証人の証言があり、<第7冊>の第12回公判の中ほどから<第9冊>の第16回公判まで、砂川闘争に参加した関口和(三多摩労協常任幹事)・芳賀貢(東京地評事務局長)氏をはじめとする砂川支援労協・日本鋼管川鉄労組・国鉄労組の労働組合や森田実(全学連中執)氏・東京農工大などの学生の関係者、西村力弥・山花秀雄国会議員、山川国蔵都会議員、地元砂川の宮崎伝左衛門町長や基地拡張反対同盟・土地所有者・青木市五郎・反対同盟の人たちなど、被告側証人の証言記録が収められています。<第10冊>の第17回公判では
弁護人側証人(日本医大生)の証言が一人あり、続いて検察側証人の証言が行われ、<第11冊>の第18回公判まで続きます。第19回公判手続記録の後に、第17回公判で行われた検察側からの尋問に対する椎野被告の陳述とその時提出された検察側証拠が挿入されており、その後に吉田泰三氏(東京農工大生−不起訴処分)に対する逮捕状などがあり、逮捕時(1957年9月)の武藤軍一郎氏の警察と検察に対する供述調書や捜査差押調書が収められています。<第12冊>の第20回公判は坂田氏他5人に対する弁護側の尋問と答弁があり、第21回公判では、弁護側証人の最後に宮岡政雄・反対同盟が証言をした後、検察側の論告求刑となります。

<第13冊>の第22回公判から第25回公判のかけては、佐伯、芦田、植木、加藤、東城、西田、彦坂、小林、青柳、池田、小澤、石島弁護人の弁論があり、第26回公判では、牧野内、東城弁護人の弁論の後、坂田、菅野、高野、椎野、土屋、武藤、江田氏7人に被告の最終陳述が行われています。第27回公判記録に収録されている海野弁護団長の最終弁論要旨は、各弁護人がこれまでに展開してきた憲法と安保条約、行政協定、刑事特別措置法、土地収用法などの国内法との関係を要約的に述べて「被告は無罪」という明確な主張を展開しています。
 
<第14冊>には、跳躍上告審の準備手続に関する弁護人選任届や上告趣意書など公判開始に必要な事務的な記録などが収録されていますが、審理を始める前に、最高裁が弁護人数の制限をしてきたこと、弁護団からの異議申立があって人数制限取り消し決定になったことの記録が収録されています。また、検察側の上告趣意書とそれに対する林弁護人の反論となる答弁書が提出されて、最高裁審理での論争が予測されます。<第15冊>は、最高裁の人数制限を取り消させた後に、第一審の弁護団を含めた252人の大弁護団が編成されましたが、その選任届です。<第16冊>から<第19冊>は、海野氏他6人の弁護士による憲法、米軍駐留、在日米軍の法的性格、刑事特別法、司法の裁判権に言及して検察側の上告趣意書の棄却の判決を求める答弁書に始まり、各弁護人からの憲法、条約、協約、世界の動向、戦争の歴史、土地な
どの財産権など各分野から検察側の上告文を論破し第一審の正当さを評価して上告棄却を求める26件の答弁書が収録されています。

<第20冊>には、海野晋吉・主任弁護人、佐伯静治・副主任弁護人の選定届が会った後に、第1回公判から第3回公判の記録が入っていますが、これらの公判記録の前に、これまでに出された各弁護人からの26件の答弁書(<第16冊>から<第19冊>の所収)の論点別整理を行った弁護団作成の総目録が収められています。そして、「最高裁判所長官として『日本が世界情勢の中で、中立はありえず対米従属路線をとるべきである」旨のスタンスに立って司法に当れ』という意見を再三にわたって公式に述べて田中耕太郎氏がこの裁判長を務めるべきではない」という弁護団による「田中裁判長に対する回避勧告」というもう一つ重要な文書が入っています。弁護団には、最高裁判所法廷の裁判長を忌避する法律的手段がまったく封じられているために「回避勧告」という形式で意見表明をするしか方法がなかったわけですが、最近、アメリカ国立公文書館で国際問題研究者の新原昭治氏によって発見された文書で明らかになったように田中氏は公判開始前にアメリカ大使に公判を早期に進めて結論を出すことを告げるほどの、司法権の最高責任者としてもこの公判の裁判長としても全くの不適格者であるという弁護団の指摘が注目されます。

 第1回公判では、検察側が冒頭の「上告趣意書の陳述に際して」「弁論要旨」で、第一審判決と弁護団が提出している26件の「答弁書」に対する批判と主張を全面展開しています。これに対し、海野主任弁護人の最高裁のスタンスを批判につづいて憲法論を展開する「弁論要旨」、佐伯静治副主任弁護人の憲法の平和主義、高橋弁護人の自衛隊と自衛戦争に関る「弁論要旨」が収められています。第2回公判は、黒田弁護人の安保条約、西田弁護人と内藤弁護人の駐留米軍の違憲性、新井弁護人と大野弁護人の国連の集団安全保障と日米安保についての「弁論要旨」があり、第3回公判では、上田弁護人の集団安全保障と軍事同盟、芦田弁護人の在日米軍の侵略性、植木弁護人と牧野内弁護人の非武装中立論についての「弁論要旨」があります。
<第21冊>は、第4回公判から最後の第7回公判までの記録が収録されています。第4回公判は、佐伯千仭弁護人の憲法と刑特法、中田弁護人の刑特法と人権、柳沼弁護人と小林弁護人の刑特法の違憲性、宮原弁護人の条約と違憲審査権についての「弁論要旨」が、第5回公判では、松本弁護人の条約と違憲審査権、加藤弁護人の統治行為に対する違憲審査権、松井弁護人の統治行為と司法審査権、池田弁護人の統治行為の歴史的意義、佐々木弁護人の司法権の独立、真野弁護人の政治的行政的裁判批判についての「弁論要旨」がつづきます。<第6回公判>でも、長野弁護人の国際情勢と平和主義、毛利弁護人の司法権の独立についての「弁論要旨」というように、弁護人側の「弁論要旨」が続けて収められています。これら各弁護人の「弁論要旨」は、公判開始前に提出した「答弁書」とともに、弁護団が合宿をしてそれぞれの分野について討議し解明すべき分野を選び、それぞれ弁護人が分担して執筆したこ
とを風早弁護人が自らの「弁論要旨」で述べています。第7回公判では、判決の事実を記述したのみです。最高裁判決文(田中耕一郎裁判長)は先にも述べましたように、東京地裁第一審判決とともに<第22冊>に所収されています。

なお、記録にも出てきますが、この訴訟の被告は次の方々です。
坂田  茂 事件当時・日本鋼管川崎製鉄所労働組合執行委員
高野保太郎 事件当時・日本鋼管川崎製鉄所労働組合員
菅野 勝之 事件当時・日本鋼管川崎製鉄所労働組合員
椎野 徳蔵 事件当時・国鉄労働組合新橋支部青年部長
土屋源太郎 事件当時・全学連東京都学連委員長、明治大学生
武藤軍一郎 事件当時・東京農工大学生
江田 文雄 事件当時・医学連執行委員・日本医科大学生

 最高裁判決に対して弁護団が出した声明は、当然のことながら刑事訴訟記録に収められてはいませんので、弁護団声明を以下に掲載しておきます。

最高裁の不当判決に対する声明
1.最高裁判決は我々の主張の根幹であった自衛戦力不保持の問題についての判断をことさら回避し国民を戦火の渦中に巻き込むおそれのある外国軍隊の駐留を違憲ではないと判断した。これは独立を尊び平和を念願する国民として断じて承服できない。
2.安保条約の違憲性についてはこれを高度の政治問題であるとして審査の対象から除外し国民の判断にゆだねるべきものとした。このことは基本的人権の保障を最大の使命とすべき裁判所の使命をみずから放棄したものである。
3.我々は国民の批判こそが安保条約の違憲性を決するカギであり、この判決の誤りが必ず正されることを確信し、国民とともにたたかうことを声明する。
1959年12月16日 砂川事件弁護団



<重要関係者のプロフィル>

伊達秋雄 第一審裁判長

1909年−1994年 昭和-平成の裁判官、弁護士。
明治47年1月1日生まれ。昭和8年判事となる。最高裁調査官を経て昭和31年東京地裁判事。砂川事件の裁判を担当。34年日米安全保障条約によるアメリカ軍の駐留は憲法違反とした(伊達判決)。36年弁護士に転じ法政大教授となる。平成6年12月25日死去。85歳。大分県出身。京都帝大卒。
「デジタル版日本人名大辞典+Plus」 より
(詳細は、Google「伊達秋雄」の検索から−中日新聞【掛川西高100周年天守の杜に】第3部人物史編法曹界の記事
http://www.chunichi.co.jp/shizuoka/hold/school/kake/CK2007060502121892.html参照)

海野晋吉 砂川事件裁判弁護団長

静岡出身の弁護士、海野晋吉の没後40周年記念集会が、命日の2008年7月6日静岡市で開催された。海野は、戦中は治安維持法違反事件の弁護を多数手がけ、敗戦直後は憲法草案の作成に関わり、法曹界では日弁連の会長などを歴任し、自由人権協会の設立にも関った。1948年選挙に片山哲の強い要請によって静岡県から立候補を決意するも、静岡の社会党の姿勢に憤りを覚え断念、しかしその後も社会党の静岡県連会長として活動を続けた。冤罪の小島事件では、無罪を勝ち取った。(Googl、Yahoo「海野晋吉」の検索から、「海野晋吉のこと 過去と未来のウエブログ」より)

田中耕太郎 跳躍上告審裁判長

1890年−1974年。日本の法学者、法哲学者。東京帝大法学部長、第一次吉田内閣文部大臣。第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事。閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例。長官在任期間は3889日で歴代1位。発言として有名なものに、冤罪として有名な八海事件の際に正木ひろし弁護士の著書などに対し「雑音に惑わされるな」、松川事件の下級審判決を「木を見て森を見ざるもの」などがある。砂川事件で政府の跳躍上告を受け入れ、一審破棄・合憲(統治行為を採用)の判決を下すが、駐日大使マッカーサーと藤山外務大臣による「内密の話し合い」と称した日米同盟に配慮し優先案件として扱わせるなどの圧力があったことが、2008年4月に解禁となった公文書に記されている。(フリー百科事典『ウイキペデイアWikipedea』より
抜粋。Yahoo「田中耕太郎」の検索から)


3.年 表
砂川基地拡張反対闘争・伊達判決・米国公文書発見

<T.砂川基地拡張反対闘争>

1922年      陸軍、立川飛行場を建設・使用。
1945年 9月    米軍進駐、立川飛行場を米軍基地として使用。朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃拠点となる。
1955年 5月 4日  東京調達局、砂川町長に米軍立川基地拡張案を非公式に通告。対象土地171,600u(52,000坪)、対象世帯140軒。
    5月 6日  拡張予定地域の関係者集会。
    5月 8日  基地拡張反対同盟結成。砂川闘争始まる。
    5月12日  砂川町議会、基地拡張反対決議案を可決。
    6月 9日  都議会、都議120名全員の提案で基地拡張反対意見書を採択し、政府に手交することを決定。
    6月17日  三多摩労協、基地拡張反対共闘会議を結成。
    6月18日  阿豆佐味天神社で、「立川基地拡張絶対反対町民総決起大会」開催。
    7月24日  立川基地拡張反対農・町民決起大会。
    9月13日  調達庁、反対同盟・支援労組の抵抗を排除して、予備測量強行。初めて測量の杭を打たれる(以後、数回にわたり衝突)。「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」と青木行動隊長が決意。
    9月17日  砂川町議会、8町議の条件闘争への移行提案を否決。
   10月14日  鳩山一郎首相、第1次収用認定。
   11月 5日  強制測量4日目、機動隊1,200名実力行使。負傷者260名、逮捕者2名。
   11月 9日  第1次収用認定地の精密測量を強行。   
1956年 8月18日  砂川対策弁護団結成。
    9月13日  全学連、砂川闘争支援を表明。毎日現地へ3000人動員を発表。(「10月1日から16日までの間に測量を実施する」と関係者に通知あり)
   10月12日  機動隊1,400名出動、全学連・総評を中心とする支援部隊と激突。負傷者260名。 
   10月13日  機動隊2,000名出動、支援部隊6,500名。負傷者1,000名を超える。
   10月14日  政府、強制測量の中止を決定。(基地反対闘争で初めて強制測量中止)
   11月19日  警視庁、砂川闘争参加の労組員、学生、現地農民等の事後検挙方針を示す。
1957年 6月25日  基地内民有地の強制測量始まる。
    6月27日  労組員、学生の支援部隊、警官隊と基地の柵を隔てて対峙。
    7月 8日  基地内測量阻止で支援部隊、基地内に数メートル入る
    9月22日  6・27、7・08の基地内測量阻止闘争参加の労組員、学生23名逮捕.その後、「基地内侵入は、安保条約に基づく刑事特別措置法第二条違反」として7名起訴さる。

<U.公判の推移>
1958年 1月18日  東京地裁で砂川事件第1回公判。
1959年 3月30日  「米軍駐留は違憲。全員無罪」の東京地裁第1審・伊達判決が出る。
    4月 3日  検察側、高裁を跳び越え最高裁に跳躍上告。
    6月 2日  東京地検、最高裁に上告趣意書を提出。
    9月 7日  砂川事件上告審第1回口頭弁論。(以後、9月18日まで合計6回)
   12月16日  砂川事件上告審で最高裁が「高度の政治案件は司法判断の対象外」として原判決破棄、差し戻しの判決。
1960年 1月19日  新安保条約調印。
1961年 3月27日  第2次砂川事件、東京地裁・差戻し審判決「各人罰金2千円の有罪判決」。
1962年 2月15日  差戻し審控訴審(東京高裁)判決・「控訴棄却」。
1963年12月25日  最上告審で最高裁第2小法廷、「上告棄却」決定。

<V.その後の砂川>
1964年 4月27日  東京都収用委員会審理開始(66年末まで13回開催)
1969年 4月18日  政府、米軍の基地拡張計画中止により土地収用の認定取消しを決定。23名の拡張予定地所有者が収用に応じなかった結果がこの勝利となる。
1969年 6月 1日  砂川闘争勝利報告集会。
1969年12月 1日  米軍、立川基地の飛行活動停止。(横田基地に機能統合)
1972年 3月 7日  陸上自衛隊東部方面航空隊、立川基地に移駐。
1977年11月30日  立川米軍基地、日本に返還現在跡地は、陸上自衛隊駐屯地、広域防災基地(警視庁・海上保安庁・消防庁)、昭和記念公園などとなる。
2001年 9月 1日  地元住民、旧拡張予定地の平和利用を立川市に要望。


4.砂川事件「伊達判決」に関する米国政府解禁文書要旨


 日米安保条約改定をはじめとする戦後の日米間外交史の調査研究を専門にされている国際問題研究者の新原昭治氏が、2008年4月にアメリカ国立公文書館で「SUNAGAWA」のタイトルがある文書記録を発見されました。その中身は、1959年3月30日に出された砂川事件第一審裁判で出された伊達判決のことを即日アメリカ国務省に報告する当時の駐日大使マッカーサーの極秘の公電から始まる14通の極秘公電でした。

 14通のうち、1通はワシントンから東京の在日アメリカ大使館の送られたものですが、後はすべて在京の駐日大使からワシントン宛のものです。伊達判決に対する衝撃、その時秘密裏に行われていた日米安保条約改定交渉への影響に対する懸念と藤山外相への対策(跳躍上告)の示唆、社会党やマスコミ・世論の動向、自民党内の動き、田中最高裁長官との会見、最高裁審 理に関する検察側の要請などが、報告されているのです。この公文書で明らかになったことは、1959年3月には正式に秘密裏に始まっていた藤山外相とマッカーサー大使との安保条約改訂交渉の会談録(2010年4月に外務省が公表した記録。外交文書館でそのCD-ROMを入手できます)にある会談とは別に、伊達判決が出た翌3月31日朝閣議前に藤山外相とマッカーサー大使が会って伊達判決の処理をめぐって密議を凝らし大使が「跳躍上告」という手段を示唆していること、4月1日には秘密交渉会議後の夜に藤山外相が大使に内密に再度会い政府の態度を急いで報告したり、その後も大使とたびたび会って政府の意向や自民党内を含めて伊達判決に関する国内世論の動向を大使に報告していること、田中長官が自ら担当している砂川裁判の見通しを大使に語っていること、日本の検察庁が裁判を有利にするために西太平洋に展開する米軍と在日米軍の関係についての陳述内容の許可を求めていることなどです。

 この一連の文書記録のコピー全部と、新原氏と布川玲子氏(山梨大学教授)の手によって行われたその翻訳文は山梨学院大学「法学論集」64号(2010年1月)に所収され、その抜刷が伊達判決を生かす会に寄せられましたが、その全部をここに紹介することはボリュームなどのために出来ませんので、各文の要旨を日付・発信時間ごとに纏めた表を以下に紹介します。


米国政府解禁公文書(駐日大使から国務長官宛など)要旨一覧
発信日時(日本時間)および 内容要旨

@1959年3月30日午後7時52分
◆本日、「米軍の日本駐留、安保条約、行政協定は違憲であり、被告は無罪」の東京地裁・伊達判決が出た。
◆当大使館は、日本外務省と打ち合わせ、マスメデイアの質問に「大使館はコメントしない、日本政府がコメントする立場だ」と答えている。
◆「日本政府は上訴する」ことを今夜の参院予算委員会で法務大臣が言明する予定。

A3月31日午後2時17分
◆今朝8時に藤山外相と会う
◆大使が、日本政府が迅速な行動をとり、地裁判決を正すことの重要性を強調。安保条約協議に複雑さを生み、4月23日の東京、北海道知事選への影響を懸念を表明。
◆日本政府が、跳躍上告することが非常に重要。社会党など左翼勢力が高裁判決を最終的なものとせず、最高裁の判断まで論議の時間がかかりすぎる。
◆藤山は、全面的に同意し、今朝9時に開かれる閣議で、最高裁に跳躍上告することを承認するよう進めたいと語った。

B3月31日午後9時
◆外務省当局者から、今夕、日本政府が跳躍上告をするかを決めていない、と報告あり。
◆法務省が緊急に検討中で、外務省当局者は、なるべく早く解決することが望ましい、と認識している。

C4月1日午後8時06分
◆伊達判決は、政府内部でも予想されておらず、国会で政府と社会党との鋭い論議を起こし、憲法問題専門家や評論家の議論、コメントが飛び交っている。
◆岸首相は、国会でも大衆向けでも、「伊達判決は少数意見で、最終的判断は最高裁でなされる。日本政府は、憲法9条の解釈を変えない。政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は違憲ではないと確信し、安保条約改定交渉を続ける。」と言明。
◆新聞は、伊達判決を大きく扱っているが、3月31日に比べ落ち着いた態度になっている。
◆各紙論評と社会党の動向の報告。

D4月1日午後8時26分
◆藤山が内密に会いに来て、日本政府が憲法解釈に完全な確信がある、砂川事件の上告でも憲法解釈維持されるであろうことを米国政府に伝えたい。
◆最高裁への跳躍上告を検討中であり、最高裁は本件に最優先権を与えるであろうが、最終判決までは3〜4ヶ月かかる、といった。
◆地裁判決が覆されることを日本政府が確信している。社会党が司法の尊重と騒いでいることは、最高裁の判決時には、政府に有利に働くであろう。
◆米軍の法的地位について両国政府の交渉が立ち往生になる印象を与えるのはまずい。明日、事前に公表の上、条約関連の会談の開催を提案。この会談で、日本政府が合憲性に確信を持って条約交渉を前進させたいという意図をアメリカ政府に保証させたい、とも語った。
◆藤山は、明朝、福田と船田と会い、事前公表予定の会談が、自民党にとって有意義か、チェックする。

E4月3日午後3時26分
◆福田幹事長は、地裁判決を最高裁に直接上告することを決定した、と語った。

F4月3日午後10時44分
◆法務省が、最高裁に直接上告する決定を発表。外務省から、法務省が最高裁への提出書類を準備中と報告あり。
◆最高裁の審理の速さは不明だが、数週間から数ヶ月という予測がある。
◆政府幹部は、判決が「@社会党の選挙活動に利するA日本の国際的威信 B左翼が日本の国防体制に障害をもたらす法的対抗手段の可能性」などから、伊達判決が覆ることを確信している最高裁の判決をせきたてようとしている。
◆外務省筋が大使館員に、静岡地裁の富士演習場事件(米軍使用のため接収された土地で自衛隊が訓練に使用することは違法)で、原告からの「迷惑訴訟」の性格が伊達判決の影響で「違憲訴訟」に変質する可能性あり、と語った

G4月24日午後3時35分
◆最高裁は、砂川事件の地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日にすることを4月22日に決めた。
◆外務省当局は、「上告審の審理は7月半ばに開始されるだろうが、現段階で決定の時期は予測できない。
◆内密の話し合いで、田中耕太郎担当裁判長(当時の最高裁長官)は大使に「本件は優先権が与えられているが、審議が始まったあと決定に到達するまでには少なくとも数ヶ月かかる」と語った。

H5月22日
◆砂川事件は、ニュース、論説などで関心を呼び、政府と社会党との安全保障をめぐる対立もきわだち、最高裁では逆転するという政府の確信に対して、社会党の軍事増強への攻撃に一時的でも明るい援助を与えていると、オブザーバーたちは見ている。
◆弁護側は、7人の被告人に千人の弁護士を集めるといっている。審議の予備的打ち合わせで、第一小法廷の斉藤主任裁判官が、被告1人に弁護士を3人以下としたことについて、朝日新聞を含め多くの評論家から非難されている。
◆斉藤裁判官は、弁護士人数の制限は、最高裁審議の促進と最高度の優先度を与えるための措置である、説明している。さらに、最高裁が米国最高裁のジラード事件の迅速な決定を重視し、8月には判決を行うだろうと予測した、と新聞は報道している。

I6月8日
(6月2日に東京地検が最高裁に提出した上告趣意書の要点)

J9月13日午後2時10分
◆最高裁審理で弁護側は、予想通り、在日米艦隊が54年にインドシナで、58年に台湾海峡の金門馬祖島周辺で作戦行動を行った、と申し立てた。
◆9月7日の米国コメントを外務省当局者に伝え注意深く吟味した。外務当局はこのコメントを検察事務所にはまだ届けていない。それは、在日米艦隊が54年の南シナ海での行動は明確に否定しているが、台湾海峡関連が否定されていないので、弁護側から安保条約関係への新たな攻撃を受けることになるからである。外務当局者の話では、台湾海峡についても南シナ海でのものと同一あるいは共通のものといえないか、そうすれば9月18日の検察側の最終論議に大きな助けとなる、ということである。
◆9月7日の米国コメントの台湾海峡部分では、FORCES(兵力)といってFLEET(艦隊)に言及しないことので国務省が承認しなかったのであろう。検察側は、外務省経由の米側のコメントの検討に時間がかかるだろうから、両行動とも同様に否定できると伝えられればよいのであるが。この回答は9月15日までに必要であり、迅速な返事を求める。
(このコメント電報は解禁文書に含まれてはいない。)

K9月15日午前10時28分
◆台湾海峡危機の際の米「軍」が、第7艦隊については、安保条約の下で日本に出入りしている部隊ではない、といえても、他の海兵航空団や第5空軍部隊は、日本の基地を使用しているから、第7艦隊と同様にはいえない。
◆検察官は「第7艦隊は日本に出入りしている部隊ではない。台湾海峡での作戦で西太平洋中の利用できる基地を使用した」と述べてもよい。
◆上記のことは、あまり役立たないであろう。検察官が、インドシナと台湾の状況の関する同方向の表明が必要なら、関連国務省電報の第7艦隊の運用に関する声明を使ってもよい。

L9月17日午後8時53分
◆関連電報の情報は、外務省当局者に伝え深謝された。許可された情報は、今朝検察官に伝えられ、9月18日の最終陳述で使うと知らせてきた。

M9月19日(時間記載なし)
◆弁護士たちは、9月9日、11日、14日、16日の連続4期日ぶっ通し発言した。弁護団の攻撃は、安保条約が国連憲章と日本国憲法に違反することの論証の試みに集中し、日米両国の意図を非難した。
◆弁護団は、社会党容共派の黒田寿男、総評弁護団の内藤功、自由法曹団・共産党員の風早八十二、日教組法律顧問の芦田浩志、元最高裁判事の真野毅が発言した。
◆弁護側は、諸条約やそれに基づく国内法の合憲性を不問に付すことが違憲だ、と述べ、1891年のロシア皇帝暗殺未遂事件を当時の大審院が死刑にしなかったこと対照させ、砂川事件を政治的ではなく法律的な理非曲直で判断せよ、とも述べた。
◆口頭論議は、9月18日の弁護側と検察側の最終弁論で打ち切られる。尋問は新聞で引き続き報じられているが、論説によるコメントはなく、法廷周辺は平穏である。




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